長女3~6歳
3歳を過ぎた頃から、長女の行動に少しずつ変化が見られるようになりました。
下の妹に対する手の出方が、年を追うごとに強くなっていったのです。
最初は腕をつねる程度でした。
それが次第に、顔をたたく、顔を踏みつける、鉛筆で妹の目を刺そうとする──といった危険な行動にまで発展しました。
叱っても諭しても、長女の心優先の生活にしても止まらず、「どうしてそんなことをするの?」と問いかけても、本人もどうしていいのかわからないような表情をしていました。
私は常に緊張していて、妹たちを守るために一日中気を張っていました。
そんな中、偶然参加した療育セミナーで育児相談をしたとき、初めて「その暴力は発達障害の衝動性から来ているかもしれません」と指摘されました。
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になったのを覚えています。
「発達障害」という言葉が、まさか自分の子どもと結びつくとは思っていませんでした。
これまでずっと「育てづらいけれど性格の問題」「お姉ちゃんだから我慢できないだけ」と考えてきたので、心のどこかで強く否定したくなりました。腹立たしく思いました。
家の中では、「自分のものは自分のもの、妹のものも自分のもの」という状態で、まるでジャイアンのようでした。
お菓子やおもちゃはすべて自分が先。妹が泣いてもお構いなし。
けれど外ではおとなしく、幼稚園では特に指摘されることもなく、先生からは「優しいお姉ちゃんですよ」と言われることもありました。
家庭とのギャップに、私はますます混乱しました。
ピアニカなど、好きではない活動には集中できず、途中で立ち歩くこともありましたが、それでも園では加配がつくほどではなく、集団生活の中に普通に溶け込んでいました。
年長の秋、療育の先生に促され、ようやく意を決して児童精神科を予約しました。
診察は一年待ちだと言われました。
そのころから「療育」という言葉を意識し始め、通うことを考え始めましたが、正直に言うと、当初は強い抵抗がありました。
療育に通うことは、自分の子どもを“障害児”と認めることになるようで、とても不快感でいっぱいだったのです。
「そんなレッテルを貼りたくない」「普通の子だと信じたい」──そんな気持ちが入り混じっていました。
療育に通うためには「通所受給者証」というものを申請しなければならず、その手続きを進める頃には、園の先生にも誰にも知られたくないという思いでいっぱいでした。
恥ずかしさというより、“知られたくない”“認めたくない”という感情のほうが近かったかもしれません。
それでも、長女のためにできることを一つでも増やしたい──その思いだけで、なんとか前に進みました。



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