娘の安心を願って:教育の“例外”を考える

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娘の安心を願って:教育の“例外”を考える

「折り紙や塗り絵をしたい」と言った娘。
その小さな願いを、私はどうしても叶えてあげたかった。
学校生活の中で、ほんの少しでも自分のペースで安心して過ごせる時間があれば、
娘の心はどれほど救われただろう。

けれど、特別支援コーディネーターに相談すると、
「他の児童の目もあるので、取り出し授業の導入の五分間だけなら」と言われた。
たった五分。
娘が求めていたのは、特別扱いではなく、ただ静かに落ち着ける時間だったのに。

後になって知ったのは、
学校内に「適応指導教室」という場所があるということ。
そこでは、自分のペースで学習を進めたり、
終わった後に折り紙や塗り絵などの活動もできるらしい。
まさに、娘が心から望んでいたような空間だった。

なぜ、その存在を誰も教えてくれなかったのだろう。
なぜ、娘に合った選択肢があるのに、案内も説明もなかったのだろう。
学校にとって「例外」を認めることは難しいのかもしれない。
でも、子ども一人ひとりの「好き」や「安心」を大切にすることこそが、
本来の教育の姿ではないだろうか。

今でも、あの日、
娘が小さな声で「折り紙したい」とつぶやいた瞬間を思い出すたびに、
胸が締めつけられる。
そして、あのときもっとできることがあったのではないかと、
自問自答を繰り返している。

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