回復期に届く学校からのノック:
ありがたさと、拭えない「なぜ今」の問い
娘の心が少しずつ落ち着きを取り戻し始めた頃、
私は新たな苦しみに直面することになりました。
それは、学校からの矢継ぎ早な電話と突然の訪問です。
週に何度も鳴り響く着信音は、
まるで私の平穏を乱す警報のようでした。
予告なしに鳴るチャイムの音に、私は身構えてしまうようになりました。
学校の先生方が懸命に関わってくださるその熱意は、
ありがたいはずでした。
夕食時に先生が訪ねてきて、
一時間ほど楽しそうに算数を教えてくれることもありました。
娘が久々に集中して学んでいる姿を見て、
私自身も少しだけ希望を抱きました。
しかし、先生が玄関を後にした夜、私は一人、静かに泣きました。
「なぜ、今なのだろう」。
この問いが、胸の奥底から込み上げてきて止まりませんでした。
娘が登校に苦しみ、腹痛を訴え、私が何度も「合理的配慮」を求め、
個別面談を希望したあの苦しい時期には、
学校はほとんど動いてくれませんでした。
娘に合ったペースの配慮を訴えても、
「一斉教育の枠組みがあるから難しい」「みんなと同じように」と、
冷たく断られた記憶が蘇ります。
あの時、手を差し伸べるチャンスはいくらでもあったはずなのに、
娘の気持ちに寄り添った支援は、何もしてくれなかったのです。
今、娘が学校を完全に離れてから、
突然「熱心さ」を見せる学校の姿勢は、私たちには皮肉に映りました。
この関わりは、娘という個人に「寄り添うため」ではなく、
「教室に戻すため」の義務的な活動に見えてしまったからです。
もう少し早く、娘の小さなSOSに気づき、
その優しさや熱意を注いでくれていれば、
娘の心はここまで深く傷つくことはなかったかもしれません。
そうすれば、私たち親子は、今のような深い葛藤に苦しまずに済んだかもしれないのです。
学校の訪問が終わるたびに、感謝と同時に、「遅すぎた介入」への複雑な感情だけが残りました。



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