不登校でも、ちゃんと育っていた|長女の成長に祖父が泣いた日

不登校

私は、長女に勉強をさせることを、ある時点で諦めました。

勉強がつらくて、 学校に行こうとするとおなかが痛くなり、 やがて不登校になったからです。

「勉強させなきゃ」という気持ちよりも、

これ以上、この子を追い込めない

という思いのほうが強くなっていました。


「三年生までできれば大丈夫」という言葉

デイサービスの先生から、 こんな言葉をかけてもらったことがあります。

「小学校三年生までの勉強ができれば、  社会に出ても、さほど困ることはありませんよ」

それは、 当時の私にとって大きな安心材料でした。

正直に言えば、 勉強を嫌がる子どもに、 無理やり机に向かわせるだけの 気力は、もう私には残っていませんでした


それでも、子どもは自分のペースで伸びていた

最近、 デイサービスで長女は、 時計の読み方を特訓するようになりました。

以前は、

  • 短針で「何時」
  • 長針は「0分」か「30分」

それが分かる程度でした。

ところが、 いつの間にか、

  • 8時43分
  • 9時40分

といった、 細かい時間まで読めるようになっていたのです。

特に驚いたのは、

「9時40分=10時まであと20分」

という考え方が、 自然にできるようになっていたことでした。

「どんな教え方をしたんだろう」 と、 親の私が思うほどの変化でした。


私の反応は、いつもの温度感で

その話を聞いたとき、 私の反応はというと、

「あらまー!すごいねー!」

という、 いつもの、少し力の抜けたものでした。

無理に喜ばせようとも、 過剰に褒めようともせず、

「できたんだね」

と、 事実を受け取るような感じです。


祖父の涙と、長女の笑顔

正月の帰省中、 何気なく時計の話題になりました。

そこで、 長女が時計を読んでみせたときのことです。

私の父は、 その様子を見て、 泣いて喜びました

学校に行っていないこと、 学習が一年生の段階で止まっていること。

何も言わなかったけれど、 きっと、 ずっと心配していたのだと思います。

長女は、 父に抱っこされながら、 とても嬉しそうにしていました。

その光景を見て、 私も、 じんわりと目頭が熱くなりました。


ゆっくりでいい、喜びながらでいい

学校に行っていなくても、 学習が止まっているように見えても、

子どもは、 ちゃんと自分のペースで育っていました。

誰かと比べなくていい。 急がなくていい。

こうして、

温かく、ゆっくり成長を見て ひとつひとつを一緒に喜んでいけたら

それだけで、 とても素敵なことだと思います。

不登校の時間も、 長女にとっては、 確かな「育ち」の時間でした。

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