支援級を続けながら、私の心は少しずつ壊れていった

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支援級を続けながら、私の心は少しずつ壊れていった

支援級の体験を続けていました。
でも、娘の状況はよくなるどころか、悪くなる一方でした。

毎日のように学校へ電話をかけていました。
「今日は〇時間目に行けそうです」
「辛くて行けないみたいです」
そのやり取りを続けるうちに、私の心も限界に近づいていました。

その頃の娘は、週に3回は朝からデイに行き、週に2回ほどは何コマか授業に出ていました。
行けた授業、行けなかった授業を時間割に〇や×で記録して、
少しでも前に進めている気持ちを保とうとしていたのだと思います。

でも今思えば、あんなに頑張らなくてもよかった。
あんなにつらい思いをするくらいなら、
もっと早く「やめよう」と言ってあげればよかったのだと思います。

それでも当時の私は、「学校には行くのが当たり前」という考えをなかなか壊せませんでした。
周囲の目や、「このままで大丈夫なのか」という不安が、
私を強く縛りつけていました。

ある日、娘がデイに行き、家に私ひとりになったときのこと。
気づけば、私は二階の寝室にいて、窓から身を乗り出していました。
チャイルドロックがついていて、落ちようもない。
死にたいわけでもなかった。
でも、とにかく心が限界で、どうにもならない気持ちが体を動かしてしまったのです。

夫も、特別に助けてくれるわけではありませんでした。
スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、デイの先生、学校の先生、教頭先生――
本当にたくさんの人に相談しました。
けれど、誰も「これをすればよくなる」という解決策を持っているわけではありませんでした。

たくさんの人とつながっているのに、私はずっと孤独でした。
娘の不登校のつらさを、全部自分の中で抱えていました。

今になって思うのです。
あのときの私は、間違いなく命に関わるほどの状態にあったのだと。
あの頃の私に、もし声をかけられるなら、
「もう十分頑張ってるよ」「少し休んでいいよ」と伝えたい。

そして、あのときの私のように苦しんでいる誰かにも、
同じ言葉を届けたいのです。

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