夫が自ら「助けてほしい」と義母へ連絡をし、遠方に住む義母が我が家へ来ることになりました。
これまでブログには書いてきませんでしたが、夫と別居を始めた約3年前から、私は義母とほとんど連絡を取っていませんでした。
そんな状況の中で、夫がうつ病を発症し、自宅での介護が始まる。
さらに、数年間ほとんど音信不通だった義母との同居生活も始まる。
私にとっては、精神的にも生活面でも、大きな変化でした。
義母が家へ到着すると、開口一番、
「〇〇ちゃん、ごめんね。」
と私に声を掛けてくれました。
私は、
「こちらこそ、何年もご無沙汰してしまい申し訳ありません。」
と返しました。
子どもたちは祖母が来てくれたことを喜んでいました。
しかし、三女はまだ幼く、祖母とは数回しか面識がありません。
義母を見て、小さな声で
「あの人、だれ?」
と聞いた姿が、今でも忘れられません。
夫婦関係が悪化したことで、子どもたちと祖母が自然に会える環境をつくれなかったことについては、結果としてそうなってしまったことを申し訳なく感じています。
義母自身も、10年以上うつ病を患っています。
慣れない家で、うつ状態の息子を支え、さらに発達障害のある孫たちと過ごす生活は、義母にとっても決して簡単なことではなかったのだと思います。
実際、同居が始まってしばらくすると、義母は寝室で過ごす時間が増えていきました。
食事と喫煙の時間以外は部屋から出てくることがほとんどなく、家事を一緒にすることもありませんでした。
夫のそばにいて話し相手になることが、義母のできる精一杯の支えだったのかもしれません。
一方で、私自身は夫の介護に加え、家事、仕事、そして3人の子どもの育児を一人で回していました。
特に忙しい朝夕は、二女の徒歩での送迎など、「少しだけお願いできたら助かるのに」と思う場面が何度もありました。
けれど、子どもたちは祖母と過ごしてきた時間がほとんどなく、気軽に預けられるような関係ではありませんでした。
結局、送迎も家事も育児も、これまでと変わらず私が担い続けることになりました。
そんなある日、義母はぽつりと、
「子どもたちがなつかない。悲しい。」
と話しました。
その言葉を聞いたとき、私は複雑な気持ちになりました。
子どもたちは、時間をかけて関わりを重ねることで少しずつ安心し、信頼関係を築いていくものだと思っています。
寝室で過ごす時間が長く、子どもたちと接する機会がほとんどない状況では、距離が縮まらないのも無理はないのではないか――。
当時の私は、そんなことを考えていました。
夫の介護、子どもたちの育児、そして義母との共同生活。
それぞれが悪い人ではないと分かっていても、それぞれが精一杯で、誰にも余裕がありませんでした。
そんな張りつめた毎日が、およそ3週間続いたのです。


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