長女が学校の話をしてくれる時間は、今とても大切なひとときです。
少し前まで当たり前ではなかった日常だからこそ、その一言一言がうれしく感じられます。
だからこそ、気になってしまうことがありました。
夫の「聞き方」です。
私はこれまで、育児書やさまざまな情報に触れる中で、
「子どもは根掘り葉掘り聞かれると話さなくなる。話したいことは、自分から自然と話す」
という考え方を知り、意識してきました。
けれど夫の聞き方には、どこか“執念深さ”のようなものを感じてしまうのです。
実際のやりとりは、こんなふうに続きます。
長女「今日は●●ちゃんと友達になった!」
夫「そうなんだ!いつ友達になったの?何時間目?休み時間?」
長女「休み時間に話しかけたの。」
夫「どうやって話しかけたの?どうやって友達になれたの?」
長女「友達になろうって言ったの。遊ぶことになったよ」
夫「どういう状況で友達になろうって言ったの?どうやって遊ぶ話になったの?どっちから誘ったの?」
また別の日は、こんなやりとりもありました。
夫「休み時間はどうやって過ごしてるの?」
長女「一年生の担任の先生に会いにいった!」
夫「ほかには?」
長女「●●くん(年下のデイの友人)に会いに行った」
夫「ひとりきりってこと?」
長女「そうだよ」
夫「お友達できないの?いないの?」
長女「できたよ!」
夫「誰?なんていう子?」
長女「●●ちゃん!」
夫「どうやって友達になったの?」
長女「……(最初の話に戻る)」
夫「そうやって過ごせるのはすごい。パパなら絶対できない。パパは友達がひとりもいなかった」
こうしたやりとりを見ていると、これは「質問」なのか、それとも「尋問」なのか、と感じてしまいます。
毎日続くこの会話に、聞いているこちらのほうが苦しくなってくることもあります。
身近な人に相談すると、
「お父さん、きっと心配で仕方ないんだよ」
と言われました。
たしかにそうなのだと思います。
長女が長い間、学校に行けなかったこと。
ようやく通い始めた今、その様子を少しでも詳しく知りたいという気持ち。
でも、その関わり方が長女にとって安心できるものかどうかは、また別です。
「たくさん話させること」よりも、
「安心して話せること」。
そのほうが、今の長女には大切なのではないかと感じています。
夫にどう伝えるかは、まだ試行錯誤の途中です。
ただ、責めるのではなく、
「長女は、自分から話すときがいちばんリラックスしているみたい」
「質問が続くと、少し疲れてしまうかもしれない」
そんなふうに、長女の様子を軸に伝えていきたいと思っています。
同じ子どもを大切に思っていても、関わり方はそれぞれ違う。
その違いを少しずつすり合わせていくことも、子育ての一部なのだと感じています。


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