GWに入りました。
振り返ってみると、長女はこの四月、学校に通うことができました。
あれほど足が遠のいていた日々を思うと、信じられないような変化です。
けれど、「なぜ行けるようになったのか」と問われると、はっきりとした答えは見つかりません。
親の目から見ても、わかるようでわからない。
そんな感覚があります。
思い当たる要素はいくつかあります。
三年生のクラスは、以前よりも落ち着いていたこと。
担任の先生が若く、やわらかい雰囲気の方で、怒鳴ることがなかったこと。
そして、不登校だった一年半のあいだ、友達もおらず、時間を持て余していたこと。
一方で、行きづらさにつながる要素もありました。
クラスに親しい友達がいなかったこと。
勉強が一年生の途中で止まっていたこと。
そうした状況の中で、長女はある日を境に、毎日学校へ通うようになりました。
この経験を通して強く感じたのは、不登校というものは、親がコントロールできるものではないということです。
正直に言えば、私はもう学校には通わないものだと思っていました。
小学校も中学校も難しいかもしれない。
高校は通信制、大学はわからない。
将来は障害者枠での就労が現実的かもしれない。
そんなふうに、どこかで決めつけていた自分がいました。
学校をあきらめた生活は、つらさもある一方で、
登校渋りに向き合い続ける日々よりも、穏やかに過ごせていたのも事実です。
だからこそ今の状況は、うれしさと同時に、どこか不思議な感覚もあります。
長女は今、「行きたいけど行きたくない」と揺れています。
前に進む気持ちと、不安や負担が、同時にあるのだと思います。
きっとまた、行けなくなる日が来るかもしれません。
それでも、こうして通えた日々は、やはり特別なものです。
元気に笑顔で学校へ向かう姿は、私にとって“奇跡”のように感じられます。
ここまで回復して、自分で一歩を踏み出したこと。
その事実に、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
これからどうなるかはわかりません。
でも今は、この「できている時間」を大切にしながら、見守っていきたいと思います。


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