喫茶店に着きました。
みんな、言葉を失って呆然としていました。
私自身も、こうして書きながら、何から振り返ればいいのか分からなくなります。
あの日のことは、今でもはっきり覚えていることと、あまり覚えていないことがあります。
その中でも、強く記憶に残っているのが、葬式について話し合ったときのことです。
まず、葬式をどうするのかという話になりました。
すると父が、
「直葬でいいんじゃないの?」
と言いました。
私は、その言葉を聞いて、強い憤りを感じました。
私には、父が自死した息子のことを恥じているように聞こえたのです。
「一生懸命生きて死んでいったんだから!直葬はないでしょう!お別れを言いたい人だっているでしょう」
思わず、そう言いました。
みんな黙り込んでいたように思います。
長兄は携帯電話を触っていました。
葬儀場を探してくれていたのだと思います。
そして、葬儀場に電話をして、料金などを確認しに行くことになりました。
もう一つ、話題になったことがありました。
新聞のお悔やみ欄に、兄の名前を載せるかどうかです。
父は、
「載せなくていいんじゃないか。もし載せるとしても、実家の住所では載せないでくれ。仕事にも影響が出る。迷惑かけないでくれ」
と言いました。
私は、その言葉も聞いていて苦しくなりました。
まるで、息子の死が恥ずかしいことのように聞こえたのです。
「迷惑をかけないでくれ」
という言葉が、私にはとても重く響きました。
兄は亡くなったのです。
それなのに、父は仕事のことや周囲への影響を気にしている。
私は、どうしても納得できませんでした。
後になって葬儀場の方から、
「今は、お悔やみ欄に載せるのは10人に1人くらいですよ」
と聞きました。
それを聞いて、少しだけ驚きました。
今は、昔ほど一般的なものではないのだそうです。
それでも私たちは、
「誰かに届けばいい」
という思いから、お悔やみ欄に載せることにしました。
今、こうして振り返っても、私はあの日の父の態度を忘れることができません。
父は、あのとき何を思っていたのでしょう。
突然息子を亡くして、どうしていいのか分からなかったのでしょうか。
自分の中でも、現実を受け止められていなかったのでしょうか。
それとも、本当に周囲の目や仕事への影響を心配していたのでしょうか。
私には分かりません。
父がどんな気持ちだったのか、本当のところは父にしか分からないのだと思います。
それでも、あのときの私は、
「父は息子の死を恥じているのではないか」
「息子が亡くなったことを迷惑に思っているのではないか」
そんなふうに感じてしまいました。
そして、その感情は今も消えていません。
このときのことを思い出すと、今でも涙が出ます。
父は兄を愛していたのでしょうか。
愛していたのなら、どうしてあんな言葉が出てきたのだろう。
そんな疑問が、今でも私の中に残っています。
父にも、父なりの苦しみや受け止め方があったのかもしれません。
それでも私は、あの日に父が口にした言葉を、今も許すことができません。
そして、おそらく一生、許せないのだと思います。


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