義母との同居生活は、およそ3週間続きました。
その3週間で、夫の状態は目に見えて悪化していきました。
どんどんと新しい症状が現れ、症状は変化していきました。
突然、大きな声で泣き叫ぶことがありました。
何年も前に起きた出来事を、まるで今日起こったかのように話し始め、「どうしても許せない」「あの人だけは許せない」と怒りをあらわにしながら、何時間も同じ話を繰り返すこともありました。
また、何も言わずにふらっと家を出て行ってしまうこともありました。
どこへ行ったのか分からず、連絡もつかない。
こどもを置いて探しに出るわけにもいかず、義母にすべてを任せて家で待つしかない時間は、本当に長く感じられました。
そして何よりつらかったのは、
「自分なんかいなくなればいい。」
「自分は生きている価値がない。」
そんな言葉を何度も口にするようになったことです。
夫は日に日に別人のようになっていきました。
その変化は数か月かけてゆっくり進んだものではなく、わずか3週間ほどの間に急激に進行していったのです。
このまま自宅で生活を続けることは難しい。
家族だけではもう支えきれない。
そう感じるようになり、入院できる病院を探し始めました。
しかし、現実は想像以上に厳しいものでした。
精神科の入院病床がある病院へ何件も問い合わせましたが、「初診は数週間待ち」「予約は数か月先です」という返答ばかり。
病院はたくさんあるように見えても、すぐに診てもらえる病院はほとんどありませんでした。
今すぐ助けが必要なのに受診先が見つからない。
まさに「病院難民」といえる状況でした。
そんな中、訪問看護師さんが私の通っている心療内科へ連絡をしてくださいました。
すると偶然、新規患者さんのキャンセルが1件出ていることが分かり、その診察枠へ入れていただけることになったのです。
本当に運が良かったとしか言いようがありません。
当時の夫は、目つきや表情にも明らかな変化がありました。
焦点が合わないような目をして、表情は乏しく、時折こちらを見ても普段の夫とはまったく違う印象でした。
訪問看護師さんも私も、「もう自宅で支えられる状態ではない。入院が必要ではないか」と考えていました。
しかし、一人だけその考えに納得できない人がいました。
義母です。
私たちが入院について相談するたびに、
「もう少し自宅で様子を見させて。」
と繰り返しました。
何度話し合っても、その考えは変わりませんでした。
義母にとっては、大切な息子を入院させることへの葛藤や不安があったのだと思います。
一方で私は、このまま自宅で様子を見ることのほうが、夫の命に関わるのではないかという強い危機感を抱いていました。
「様子を見る」のか、「入院を勧める」のか。
家族の思いは一致せず、私たちは難しい判断を迫られることになったのです。


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