遺品整理の話に戻りたいと思います。
兄の部屋には、兄が生きていた痕跡がたくさん残されていました。
保温されたままのお米。
そして、これから食べるはずだった味噌汁。
きっと、兄のパートナーが作ってくれたものなのでしょう。
キッチンも冷蔵庫も、きれいに整理整頓されていました。
そこには、二人の生活がありました。
毎日のように食事を作り、一緒に暮らし、いつものように時間を過ごしていた。
そんな二人の日常が、目の前にあるものから伝わってきました。
そこに兄がいないことが、不思議でなりませんでした。
ついさっきまで、ここで生活していたかのようなのに。
お米も、味噌汁も、キッチンも。
すべてが、兄がこれからも生きていくことを前提に存在しているように見えました。
兄が亡くなった理由を知りたかった
私たちは、意識的に「遺書」と呼べるものを探していたように思います。
兄が亡くなった理由がほしかった。
どうして、という問いに答えてくれるものがほしかった。
何か書き残していないだろうか。
何か理由が分かるものはないだろうか。
そんな思いで、兄の持ち物を確認していたのだと思います。
けれど、遺書らしきものは見当たりませんでした。
今となっては、本人に聞くこともできません。
兄のパートナーの話では、突発的な行動だったようです。
遺書が見つからなかったこともあり、私たちは、やはり突発的に行動に移してしまったのだろうかと考えました。
ひとつだけ確かなことがあります。
兄は、もういない。
そして、私たちは、兄がいなくなった理由を完全に知ることができないまま、これからを生きていかなければならないのです。
命は、本人が思う以上に大切なもの
兄を失った今、命というのは心から尊いものだと思うのです。
価値がないと本人が思っていても、
周りの人からは、かけがえのない命なのです。
その人のかわりなど誰一人としていないのです。
地下鉄で兄に会った、あの日
以前、地下鉄に乗っていたとき、偶然、兄に遭遇したことがありました。
本当に、たまたまでした。
久しぶりに顔を合わせた私たちは、こんな会話を交わしました。
「仕事?」
「そう!」
「そっか、またね!」
それだけでした。
久しぶりに会ったというのに、たいした話もしませんでした。
お互いに忙しかったのでしょう。
また会おうと思えば、いつでも会える。
そんな気持ちが、どこかにあったのだと思います。
まさか、それが、こんなにも大切な思い出になるなんて。
当時の私は、考えもしませんでした。
もっと話しておけばよかった。
最近どうしているのか、聞いてみればよかった。
何か困っていることはないか、尋ねてみればよかった。
そんな後悔がまったくないといえば、嘘になります。
でも、あのときの私は、兄がいなくなるなんて思っていませんでした。
またどこかで会える。
次に会ったときに話せばいい。
そう思っていたのです。
今でも、地下鉄で兄を探してしまう
今でも、地下鉄に乗ることがあります。
そんなとき、私は兄を探してしまいます。
あの人混みの中に、兄がいるのではないか。
向こうから歩いてきて、ばったり顔を合わせるのではないか。
そんなことが、ふと頭をよぎります。
もちろん、兄がいるはずはありません。
分かっています。
それでも、どこかで探してしまうのです。
以前と同じように、偶然、兄に会えるような気がして。
もし、もう一度だけ会えるとしたら。
今度は、何を話そう。
「最近どう?」と聞いてみたい。
仕事のことも、生活のことも、もっといろいろ話してみたい。
そして、何よりも、もう少し一緒に時間を過ごしたい。
そんなことを考えます。
あのときの、何気ない「またね」。
その言葉の続きは、もうありません。
けれど、あの日、地下鉄で兄に会えたことは、今も私の中に残っています。
何でもない日常の、ほんの短い出来事。
それが、今では大切な思い出になりました。
人は、いつまでもそこにいてくれるわけではない。
当たり前のように続いていくと思っていた日常が、突然、失われてしまうこともある。
だからこそ、今そばにいる人との時間を、大切にしたいと思います。
兄が生きていたこと。
私の兄だったこと。
そして、あの日、地下鉄で偶然会えたこと。
そのすべてを、これからも忘れずにいたいと思います。


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