病院を出て、義母と二人で車に乗り込みました。
夫が急いで準備した大量の荷物を乗せ、私たちは自宅へ向かいました。
車内には、重々しい空気が流れていました。
静かな車内に、ラジオの音だけが流れていました。
何を話したのか、今でははっきりとは覚えていません。
ただ、夫の症状が本当にひどかったこと。
そして、入院という判断は、きっと間違っていなかった。
そんなことを、ぽつりぽつりと、とぎれとぎれに話していたように思います。
義母の顔を見ると、明らかに疲れ切っていました。
夫が入院するまでの約3週間半。
義母もまた、決して楽な日々を過ごしていたわけではなかったと思います。
義母自身、10年以上うつ病を患っています。
そんな義母が、自宅を離れ、私たちの家で生活をすることになりました。
私と義母は、それまで数年間ほとんど疎遠な状態でした。
そんな私との、突然の同居生活。
それだけでも、精神的な負担はあったのではないかと思います。
さらに、子どもたちとの関係もありました。
私の子どもたちには発達障害があり、それぞれに特性があります。
義母にとっては、どう接すればいいのか分からない場面も多かったのではないでしょうか。
そもそも、義母と子どもたちは数年間ほとんど会っていませんでした。
三女にいたっては、義母のことを見ても、
「あの人、誰?」
という状態でした。
一方で、子どもたちは私の母にはよく懐いていました。
けれど、夫の母親である義母には、なかなか心を開くことができませんでした。
そのことについて、義母自身も苦しんでいたと、後から夫から聞きました。
孫たちに受け入れてもらえないように感じていたのかもしれません。
自分の家ではない場所での生活。
数年間疎遠だった私との同居。
どう接すればいいのか分からない孫たちとの生活。
そして何より、日に日に状態が悪くなっていく息子を、すぐそばで見続けること。
義母にとって、この3週間半は相当つらい時間だったのではないかと思います。
私は当時、夫のことで精一杯でした。
けれど今振り返ると、義母もまた、限界に近い状態だったのかもしれません。
そんな義母に対して、夫は入院する直前、あるお願いを残していました。
「奥さんがこれから一人で子育てをしなければいけないから、一週間でもいいから残って助けてあげてほしい」
自分自身が入院しなければならない状態でありながら。
夫は、家に残る子どもたちと、私のことを気にかけていました。
あのとき夫は、これからどれくらい入院するのかも分かりませんでした。
いつ家に帰れるのかも分からない。
それでも、自分がいなくなった後の家族のことを心配していたのだと思います。
夫がいない生活が、その日から始まりました。


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